(上)今回制作されたジャケットの一部と、(右)制作をする堀越千秋氏

そもそものはじまりはヘレスでの収録も無事終わりマドリードに戻った夜、レストランでの会話が発端となる。
CD制作では印刷代が馬鹿にならないものらしい。普通に考えればCDジャケットはアーティストの顔写真といったところであるし、画家の堀越千秋氏が絵を描くといったところで話が落ち着く。まあ、それだと先程の印刷代の問題が、ただ直面するだけなのだけれど。
「なんとかなりませんかね。」
会話はここで止まる。ここで発想を逆転させよう。
これはインディーズで、作る枚数にしたところで千枚である。別にアユやGLAYのCDを作るわけでもあるまい。頭の中で発想のハツカネズミがカタカタと回りだした。


私が初めて買った絵は堀越千秋氏の絵で、それは一枚の絵を9枚に分割したものの一つだ。それ以来、私の頭の中に小さな集合体で、大きなものを形づくるというアイディアがインプットされた。例えばCDケースをずらーっと百枚、二百枚並べる。それをキャンバスにみたて堀越千秋が一気に絵を描いたらどうだろう。それならわずかばかりの絵具代で印刷代は実質タダとなる。何しろ絵だって堀越千秋が描くのである。これは凄い。
「こんなのはどうでしょう。」
「面白ーれじゃねーか。」
そのアイディアは即決された。


話は三ヵ月が過ぎた頃に飛ぶ。カンテを歌った当のヒターノ達、ミゲルとディエゴが九州にやってきた。CDの完成はその時期に合わせ全てが急ピッチですすみ、後はCDケースに絵を描くのを待つのみとなる。ただ当初のアイディアはCD盤の方にも絵が描かれることになり予定していた程の重要性は薄れていった。このあたりはアーティスト堀越千秋の感性に全て一任されていることである。これから述べることは最終的にどのような作業がおこなわれたかだ。


九月末、堀越千秋氏が画廊香月にスペインタイムでやってくる。「さすがスペイン暮らしだから時間にルーズだ。」と感心するのは一般のお客さんで、準備する側は感心するわけにはいかない。

さあ手順はこうだ。手伝いのために、高校生の頃、バスから見えた(画廊は通りの2階にある)堀越千秋氏の絵に惹かれ何年かのバイトの末、その大きな絵を手に入れ、それを韓国にまでもっていった現在留学中で、たまたまその時帰国していたトモちゃんともう一人大学生の平りょーが参加してくれた。あとは画廊のスタッフ。

画廊にある大きなテーブルのはしに堀越千秋氏が陣取り四本のペイントマーカーを使い一枚一枚透明なCDケースに線を入れる。補助の役割は何か。手は二つしかないから、マーカーはニ本しか使えない。二本のマーカーで何かしら描いたあとマーカーを捨てると、アシスタント1が別のニ本を持ち待機している。続いてそのニ本で何か描いてまた捨てる。その間に先のアシスタントがマーカーを拾い再び待機するの繰り返しだ。あとはもちつきの要領で新たなCDケースを差し出すものと、描き終わったCDケースを抜き取るものが一人。


三人のアシスタントと堀越千秋氏が軽快なリズムで作業を繰り返す。パタパタとマーカーがテーブルに当る音が続く。そのリズムはフラメンコでいうならブレリアだ。
後は描き終わったCDケースを別の場所に移すという流れ作業を残りのアシスタントが後ろで行う。作業はおよそ2時間。その間、画廊は通常どおりオープンしていることもあり、ふいに訪れたお客さんは珍しい風景をのぞけて得したことであろう。


こうして千枚のCDケースに何かしらの線が加えられた。これを絵といっていいかはわからない。しかし、千枚どれも同じものがないこと。しかも短時間でそれが行われたことは堀越千秋氏だからこそできたと言ってもいいと思う。何より言いたいことは、この作業をしている間その参加している誰もが楽しそうであったことで、それこそアートの力であり、その千枚のCDケースはその結晶であるということだ。ともちゃん、平りょーボランティアありがとう。君達の行いこそアフィシオンである。

最後に制作の場所を提供してくれた画廊香月オーナー並びに制作に協力してくれたスタッフの皆様に感謝を記し報告を終える。自由を。正義を。民主主義を。

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