幕末 (前)

幕末。
幕末である。
幕末だ。
いきなりの幕末であるが、ここに含まれる気持ちは、例えば菅原文太氏がテレビのインタビューで、
「菅原さんは歴史がお好きだそうですが、いつ頃の時代がお好きなんですか?」
の質問に対し、
「ワシャー、戦国時代が好きじゃのう。あれは仁義なき戦いじゃけぇ。のう。」(低い声で眉間にしわを寄せて読むこと)
何も日常生活において文太さんが広島弁を使うことはもちろんなく、テレビでは標準語で話されているわけだが、ここは雰囲気である。
そして、その後、続けざまに、
「後、幕末。」
と、ゆっくり語尾をかみ締めつつ、単刀直入に、嬉しそうに、なにか修飾語が多すぎだと思うけど、仰ったのである。
説明が長くなったが、それに近いものと思ってもらいたい。
「幕末」という言葉には何かときめくものがあると思うのである。
もっとも一番の原因は最近『竜馬がゆく』を読み終えたばかりであることなのだけれど。
というわけで、雑兵第2回突撃は「幕末」という言葉から、徒然ざるまま筆をすすめたい。

今、大河ドラマでは「新選組」が放映中であるが、「幕末」好きな菅原文太(これ以後、敬称略)が主演を張った幕末ものが今から20年以上前にあった。文ちゃんが主役なら、さしずめ、坂本竜馬あたりで、
「日本の夜明けは近いけぇー。のう。」
などのセリフを思い浮かべる人もいるかもしれないが(重症の人は、川谷拓三が新選組になぶり殺しにされるだけの志士の役で登場することまでイメージすることでしょう。)、さにあらず、「平沼銑次」という実在したかどうかも分からない、会津藩士の役なのであった。坂本竜馬、西郷隆盛などから比べたら、これはもう雑兵といっても間違いない。
もっとも雑兵といっても将軍慶喜の弟に付き添ってパリに行くのだから、それなりの地位の人であることは確かだ。
ともあれ、これは雑兵の目を通した幕末から明治初期という、反権力な珍しい大河ドラマだった。
タイトルを忘れていた。「獅子の時代」という。
(余談だが、菅原文太が冷蔵庫のCMで「時代はパーシャル!」と叫ぶのはその後、数年を要する。)

物語はパリから始まる。
実際、パリでロケをしたそうで、侍姿の一段がぞろぞろ街を闊歩した中、フランス人は何の関心を示さなかったそうだ。
フランス人、ジャンヌ(18歳 学生)の言。
「だってー。日本人ってー。チョンマゲに刀もってるもんでしょー。ちょー当然じゃん。」
偏見のステレオタイプに出くわしたもんだから、安心したわけですな。
こういったあたり、アジア、アフリカを植民地にした自国のことは棚にあげて、文化がどうのこうのわめくフランス人の面目躍如といったところか。
むろん、全てのフランス人がそうであることはないだろう。
「フランシーヌの場合」はあまりにもオバカさんである。
そして、私も「芸術の都、パリ」のすり込みから出ることもなく、フランス人は皆、おしゃれで芸術好きであると思っているから人のことはいえない。
話がそれた。フランスバッシングは御大に任せて先にいこう。

何故、パリから始まるかというと、幕府がパリ万博にパビリオンを出展したからで、倒幕をもくろむ薩摩藩も琉球王国の名をかり、同じくパビリオンを出しており、ここに「仁義なき戦い フランス死闘篇」の幕が開くこととなる。
菅原文太が主演だからといって、無理に「仁義」色を出しているわけではない。このドラマ自身に「仁義」へのオマージュが伺えるのである。それはオープニングに現れる。好色なフランスのエロじじいが、(好色ゆえエロじじいなのだからこの表記はしつこいです。そしてこの注釈はもっとしつこいです。)芸者(大原麗子)を馬車につれこみ白昼ハレンチ行為に走る。それを遠巻きに目撃し、2人の日本人が救済に向かう。走る。走る。ひた走る。
それが本ドラマの主役の2人、菅原文太演じる会津藩士平沼銑次と加藤剛演じる薩摩藩士苅谷嘉顕であり、薩摩と会津という幕末で明暗を分けた二つの藩の下級藩士の光と影が物語の主軸をなしていたと思う。
ちなみに「仁義なき戦い」においては、先のフランスのエロじじいが進駐軍のエロ将校にかわり、2人の日本人は復員兵となる。
「アホタレ!早よ、女、助けたらんかい!」
セリフを空で書けてしまう私は重症である。
ここにおけるオマージュというのは、幕末から太平洋戦争の敗戦までは一本の軌跡であり、こうならぬように(欧米の植民地にならぬように)の軌跡でもあり、でも結果はこうなってしまった。それを象徴するものとしてメビウスの輪のように結んでいるのではないかと、今、筆を進めながら思ったりした。

(続く)

2004 6月6日更新
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