金メダル

世界中で戦火が絶えることがない故、雑兵は大忙しだ。文章など書いている暇はない。
久しぶりの登場の許しを請う。私の怠惰が原因なのではない。悪いのは戦争をする奴らだ。
であるからクレームのある人はホワイトハウスまで。

と責任を全部ブッシュに押しつけたところで、雑兵は突撃する。
フラメンコツアーも無事終わり、本来なら終了後すぐにツアーレポートなどを載せるのが本来のあるべき姿だと思うのだが、それもままならず今更ダラダラと始まったりするのを心ある皆様は究めてスペイン的であると受け入れて下さい。
そして最近テレビにアグヘタが登場したりして、全国のアグヘタファン?の皆様はミゲルの暑苦しい顔が懐かしく思われている頃ではないでしょうか。ある意味ナイスなタイミング!?
と書いたところでこれも2週間前だったりする。
「スペイン時間だったら最近の出来事になるだろうから、構やしねーよ。」
堀越千秋氏からフォローが入り、文章は続く。
それにしても相変わらずミゲルばかりが目立っていましたね。
パコなんて番組の最後にハナちゃんの撮った写真で日干しにされるだけの扱いだもの。
何も知らない人は明かに誤解するでしょう。
でもこの文を目にするガチンコアグヘタファンの皆様であるならば、奴さんが自己管理もできず喉をやられツアーの後半歌えなかった馬鹿野郎であることは(かなり個人的恨みが入ってますね)ご存知の通り、テレビに向かって突っ込みの一つも入れたことと思います。

そんなわけで過ぎ去りつつも未練がましい今年の夏をふりかえながら、そろりそろりと雑兵は前進。
夏の思い出2004。
今年は北海道勢初の甲子園大会優勝で、日本全国高校野球1色になった感もない夏でしたね。
そんなことは勿論ない。
今年の夏は日本人の金メダルラッシュで、日本全国アテネ五輪一色になった感もない夏でした。
そしてそれに落合監督率いる中日ドラゴンズの快進撃、いわゆる俺流が注ぎこまれたものと言えるでしょう。
中日ドラゴンズ5年ぶりの優勝オメデトウ記念で無理やりまぎれこませただけのもので、そんなことは勿論ない。
(中日ドラゴンズ優勝記念!画廊香月オーナー森田俊一郎氏による特別寄稿「僕の思い出の銚子商業、土屋と宇野」雑兵にて掲載予定?!)
そしてそれにペ・ヨンジュンとジェンキンスに代表される、いわゆる韓流が注ぎこまれたものと言える。
ここに横たわる間違いは、意図的なものである。
ペ・ヨンジュンとジェンキンス、耳触りの面白さから勝手につなげたのではあるが、一見すると関連性のないこの二つの名前の間には日韓の深い歴史が眠っている気がする。

さあ、オリンピックである。書いていて虚しく響く時期になっていますが、
「スペイン時間だったらまだ最近の出来事だ。構やしねーよ。」
またまた堀越千秋氏から励ましの言葉。
オリンピックと共に思い出される人は誰か。YAWARAさんである。
結婚を転機に「チャン」から「さん」へ呼び方を替えましょうキャンペーンがあったと思い、「さん」と表記しているのだが、実際はテレビから女性誌まで今だに「YAWARAちゃん」なのはどういうわけなのであろう。そもそもそんなキャンペーンがあったかどうかも疑わしいが、どちらにしても「ちゃん」ではレディに対し失礼ではないか。であるから頑なに「YAWARAさん」でいく。
ともあれ、2大会連続金メダルおめでとう!
「シドニーで金、アテネで金、北京でも金」の名言楽しみにしております。

名言と出たところで、一つ提案があります。
先日、私は免許を更新しました。ただ昨年スピード違反をやらかし、(弁解するなら、私の落ち度ではなく、「そんなスピードじゃ日が明けちゃうよ。」とせかした人物が助手席におり、赤外線カメラが捉えた地点は佐賀県の森田という場所でした。)以前保持していたゴールド免許を剥奪され、ブルーに格下げとなりました。言うならドーピングによる剥奪です。私の場合はコーチが勝手にドリンクに薬を混ぜたようなものですが。そういうわけで、5年でいい更新が3年ごとに変わり、30分で済む講習が2時間になりました。免許のシステムを計算すると再び私がゴールド免許を手に入れるためには10年くらいかかりそうです…。
でもいいです。YAWARAさんが、悲願の金メダルを手に入れるために費やした年月と努力を考えたら、そんな十年、わけはありません。
で退屈な講習の間にひらめいたのですが、人気、知名度、そして数々の名言から考えてYAWARAさん程、交通安全キャンペーンに打って付けの人物はいないのではないかということです。TOYOTAでもあるし。
例えば「柔道でも金、免許でも金。」のコピーと共にゴールド免許取得のアピールをするのはどうでしょう。
またスピード規制を守らせるために「最高でも50キロ、最低でも50キロ」のコピーが有効です。
警視庁の方は是非検討お願いいたします。
「日本の道路に技あり一本!」 これでは別の意味になりそうだ。

そんなオリンピック熱も冷め止まぬ9月の初旬、埼玉県の山奥にいた。
堀越千秋氏の窯開きへの参加だ。
窯開きと聞いて、頭の中で、勝手に完成した窯の周りに人が集まり、「どーも。どーも。」と言いながら皆で酒を飲み交わすシーンを想像したのは私の勝手で、到着するや、「よー来た。ほれ。」と軍手を渡され砂利運びをしていた。そして翌日も1日中、肉体労働にいそしみ夕方過ぎに窯は完成。
その後の作品を窯にいれたり、火の温度の調節などは素人の出る幕ではないので、ミゲル様は料理係に回ったわけだ。
今回、俺様が作ったのはエジプトのトマトスープだ。もちろんみんな「旨い。旨い。」と喜んでくれたぜ。
サービス精神満載の俺様としてはここでレシピを紹介しないと気が済まないんだが、そんなことを仕出すと文章がますます逸脱しちまうから俺様はここで消える。アディオス!

窯が誕生した正確な日付は九月六日。きっとこの窯は「千秋窯」などの名前がつけられることでしょう。
しかし、私はこの窯に「YAWARA窯」と名付けたい。脳みそが吹き飛ぶ展開であるが、それは何故か。
窯は九月六日に誕生した。そして運命のいたずらか九月六日はYAWARAさんの誕生日なのである。
だからどうしたと言われればそれまでであるが、こんな偶然を逃す手はない。
堀越氏は常に「国宝を。」と仰っている。しかし国宝はしょせん国の宝に過ぎないではないか、日本一であるより世界一の方がいいに決まっている。世界一といえば、金メダルである。だったら金メダルの常連、YAWARAさんにあやかることは間違っていないはずだ。
私は堀越氏に「絵画でも金、陶芸でも金」を目指してもらいたい。
カンテに関しては「シャキーが金だと!金は俺様だ!」と仰る方がいるので望まない。
であるから勝手にあの窯のことを「YAWARA窯」と呼ぶ。そして一休さんが足利義満から金閣寺をせしめたのと同じ方法で世間一般に知らしめようと思う。

アグヘタツアーレポートを書くつもりでしたが、全然違う話になり、そろそろ弾切れでもある。
ツアーレポートは次回の攻防まで待たれんこと。

2004 10月3日更新
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