プロフェッショナル

私はプロフェッショナル。人は私のことをダーティMと呼ぶ。
平時かりそめに私が生業としているのはピアノ調律師、組み立てや修理も行なう。
もちろんこちらにおいても私はプロだ。全てにおいてぬかりはない。
事務所はかってバイク屋だった場所。そこにピアノがきっかり5台。それ以上は置かない。
これが私が1度に扱える限界だからだ。
プロは自分の力量に冷静であるものだ。
そして合理的であるべきだ。だから私は必要以上の改装はしない。
柱には自転車盗難保険の告知ポスターが貼ったままだし、家屋の上にHONDAの看板があがったままだ。
もっとも今ではHが取れてONDAになってはいるが。それがどうしたというのだ。仕事には何の影響もない。
だからそのままでいい。それがプロだ。
ダーティM、福岡市在住。年齢不明。国籍、日本人。プロフェッショナル。これは私の物語。

先週の金曜、私は名古屋にいた。今回は簡単なヤマだった。そんなわけで私は夜の街へと繰り出す。
これでも昔に比べれば大人しくなったものだ。
かっては中洲の暴れん坊として名を馳せたものだが、プロは専門分野以外で目立ってはいけない。
入った店はラブリーというライブハウス。
偶然入ったわけでなく私のピアノ調律師の仕事の関係で縁のある板橋文夫の演奏があるからだ。
酒を頼む。私は酒飲みである。こざかしくグラスで注文すると気づいた時は結構な値段になるものだ。
であるから赤ワインをボトルで注文する。つまみは漬物である。以外に思われるかもしれないが赤ワインに沢庵があうのである。
着色剤で鮮やかな黄色になった奴でなく黄土色のものがいい。ぜひお試しあれ。騙されたいうなら私が沢庵を買い取ってもよい。
と書いてみたが、沢庵など飯と一緒に食べればすむことでもあるし、そこまで責任をとる必要もあるまい。
あと丸干しもワインにあうということを記しておこう。
さてワインが半分減ったあたりで演奏がはじまった。
私が福岡で板橋文夫関係の仕事をする会場と性別の割合や平均年齢にえらく差がある。
私も思わず隣の人と「やっぱコルトレーンは至上の愛までですよね。」などといった会話をしてしまったのである。
そして白熱した演奏が続くうちにワインが空になり、終電の心配などしなければいけない時間だ。
しかしプロは終電など気にしてはいけない。

午前3時、私は店を出た。外は肌寒く、さっきまでの眠気が一挙に吹き飛んでしまう。
私はどのような時でも黒いスーツを着こみ、ネクタイを忘れることはない。
プロは身だしなみが大切である。そして一月前仕事をした縁で手に入れたNHKのジャンパーがこの寒さに役立った。
私はこのジャンパーのおかげでNHKが1926年から営業していることを知る。
そして私が出会った多くの人が同じようにNHKの創業年度を知ったことだろう。しかし、この知識が役立つ日が来るのだろうか?

名古屋駅に向かいとぼとぼ歩く私の前に見知らぬ若い女が立ちふさがった。「マッサージ、マッサージ。イチマンエン。」
話ぶりから日本人ではない。そしてこれは風俗の勧誘である。時刻は午前四時に近づきつつある。
こんな時間まで営業している商魂に私は少なからず感動を覚えた。確かに車は行き交っているし、歩いている人もちらほらと見える。
しかしもう四時である。今更、風俗に寄ろうなどと思う奴がいるのだろうか?
「ワシはもう帰るんじゃ。」私はこういう場合、広島弁で対応することにしている。
「ドウシテェ−?マッサージ。イチマンエンヨー。」
何か当然のことを拒絶する私が納得できないといった言い方である。
「ワシはもう眠いんじゃ。ワレは日本人じゃないのう。」
「ワタシ、タイワンノヒト。ソンナコトイイ。マッサージィー、オミセハイルゥー。」女が私の腕をつかむ。
「ワシはもう眠いんじゃ。あそこにおる奴に頼めばええじゃろーが。」
運悪く私が指差した先には別の台湾の女がいるだけだった。
「フタリガイイノカ?」そう言いながら、その女まで寄ってくる。
女達は私の腕をつかむと強引に店へと引きずりこもうとする。
「離さんなら!」私は予想外の女の力の強さに驚いた。
私は身長180センチ、体重80キロの男である。毎日のトレーニングも欠かしていない。プロは体が資本である。
そんな私が力をいれないと彼女に対抗することができないのだ。女はごく普通の華奢な体格なのにだ。
人によってはそのまま店に引きずり込まれるのではないだろうか。
女達はようやくあきらめ私を手放した。さっきまでの愛想は何処へ冷たい視線に変わり、去っていった。
何か私の中に罪悪感が去来した。
「くされ外道。ワシがなんか悪いことでもしたいうんかいのう。」私が自分の動揺を広島弁で落ち着かせる間もなく、このやりとりを見ていた別の女が私を捕まえるべく車の流れを縫って向こうから走ってくる。
「マッサージ!イチマンエン!コッチノミセニクルカ?!」
私は足早にその場から逃げた。プロには逃げることも必要である。

ナナちゃん人形も春物の装いだ。名古屋駅も近い。
ナナちゃんというのはデパートの前にそびえている身長7メートルの人形である。
足元は人々の待ち合わせ場所だ。季節ごとにファッションが替わる。
中日ドラゴンズが優勝しようものなら野球帽にメガホンにユニホームだ。名古屋といえばドラゴンズだ。
駅につく。構内は明るいがドアが閉まり中に入ることはできない。
あと30分待たねばならない。
駅の入り口を横切ると向かいは松坂屋である。名古屋といえば松坂屋だ。
その間の通路へ向かう。
隅の方にダンボールに包まったホームレスのおっさんがちらほら見える。
そして始発電車を待つ者が何人か。
私もいい加減疲れていたので柱の端に座りこんだ。
そのまま足を伸ばし柱を枕にして寝そべった。プロは寝る場所は選ばない。
もう3時間もすれば勤め人で混雑するだろう通路も今は人気もなくひんやりとしている。
燦燦と輝く蛍光灯が寒さを引き立たせている感じだ。そして孤独を。
「ホームレスいけるかもしれんのう。」私は広島弁でつぶやいた。
いや、いけないプロはいかなる時でも誇りを忘れてはいけないのだ。
こうして私は駅が開くのを待ち、午前5時4分発の急行ちくまで大阪に向かった。
気がつくと藍色の空が下の方から白んできている。朝。新しい1日が始まる。私は眠る。

2004 10月16日更新
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