少年ドリフ

あれは昭和40年代も終わりに近づいたころであろうか。
当時UNIの鉛筆はエンジ色ではなくシルバーであったのを覚えている。
そのころ1ダースの鉛筆を買うと景品として、「ドリフの首チョンパ人形」という根元のボタンを押すとドリフのメンバーの顔が飛出す玩具があった。私はどうしてもそれが欲しかった。
当時、幼稚園児だった私に1ダースの鉛筆など必要なかったはずであるが、文房具屋の前で駄々をこね、母親に何とか鉛筆を買って貰うことに成功した。
人形はくじによるものか任意に選ぶことができたのか今では記憶が定かでないが、私は加藤茶の人形を手にいれた。
これは甚だ疑問を要する。
クジで加藤茶が当るほど幸運であるとは思えないし、かと言って加藤茶人形が残っている状況も考えにくい。
子供にとって加藤茶の人気は絶大であるのだから。
仮に5人の中から荒井注や仲本工事を選ぶ子供がいるとするのなら、その子は将来、大物になっているはずであろう。
加藤茶を選んだ私はというと今もうだつの上がらないままだ。
そんな加藤茶人形を手に入れてご満悦だったある日の夕時、いつものように加藤茶で遊んでいると、隣の家からガラスの割れる音と共に女の悲鳴が聞こえた。
「火事だ!」訳のわからぬまま私は姉と共に外へと連れ出された。
気がつくと外は野次馬であふれ、始めて実物で見る消防車が目の前にあった。
「俊子ちゃん、私の家が火事になっちゃった。」と隣に住む姉の同級生の亮子姉さんが私の姉に泣き崩れた。
たまに遊んでくれる彼女の泣き顔に私は戸惑いを覚えた。
事の重要さをわかっていなかった私には大勢の群集に云われもない興奮を感じていたのだ。
私は手にきつく加藤茶を握っていた。
しだいに火事見物にも飽き出した近所の子供達の関心が私の手にした加藤茶人形へと移行していく。
近所の子供達の羨望の眼差しに私はあながち悪い気はしなかった。
大人達の喧騒をよそに私達はドリフ話で盛りあがる。
コントの真似も一通り終わった頃、仲間の一人がぽつりと言った。
「荒井注、ドリフ辞めるんだってさ。」
一瞬、私達の眼前が真っ暗になった。
「何でだよ!」
「知らねぇーよそんなこと!」
言った方も言われた方もその理不尽さを何処にぶつけてよいのかわからぬまま声を荒げた。
私はというと揺るぎのない真理の崩壊に対処のしようもないまま立ちすくむだけであった。
荒井注がドリフを辞める。何故辞めねばならぬ。長さんはどうして止めないのか?大人の不条理。いわれのない淋しさ。
座がしらけ、子供達は一人また一人とその場からいなくなった。
私は一人取り残された。
消化作業も粗方終わり、人々がぽつりぽつりと家路へと向かっている。
あとにはただ黙々と作業を続ける消防士のおじさんの姿だけがある。
その姿に私は大人というものを納得したのか、さっき感じたもやもやが多少の残像は残しながらも腹から足もとへ沈下していくのを感じた。
「荒井注ドリフ辞めるんだ!」
私は空に向かい手にした加藤茶人形を飛ばした。
火事によりいつもより赤く見える夕暮れに加藤茶の首が飛んだ。

2005 1月19日更新
雑兵は不定期更新です。
ご感想、ご意見などありましたら、
info@aficionrecord.comまでお願いします。