砂漠の少年

「砂漠の少年」という映画を見た。小学校の体育館で見た。小学二年生の頃。その話をこれから書く。理由は無い。
物語はこうだ。
金持ちのガキが召使いにセスナを操縦させて、アフリカのどこかしらを飛ぶ。何かほこりっぽいとこだと思う。物語である以上、セスナは墜落し、召使いは死亡。なぜか金持ちのガキとペットの犬だけは無傷で助かる。物語だもの。
そしてこれまた都合よく壊れなかった無線機で、ガキはパパと連絡をとる。
「今、助けに行くから待ってなさい。」
「こわいよパパ!」
怖がる息子を落ち着かせるため、パパは言った。
「セバスチャン(適当)、掛け算の九九を言うんだ。」
息子は素直にその指示に従った。
「2・2が4、2・3が6、2・4が8...」
日が暮れて、夜になっても掛け算は続く。
「621・2が1242、621・3が1863...」
ということはなく、ただ同じ九九を繰り返す。
そのうち、無線機のバッテリーが切れた。
これは吹き替え故、わかりやすく九九に変えられたもので、きっとオリジナルは聖書の言葉かなんかを言っていたのではないのかしらん。
で、その夜ハイエナの襲撃を受け、息子は側にあったものを投げ撃退する。現実的には、ここでハイエナに食われて終っていることと思うが、これは物語だ。
その後、現地で知り合った土人のおっさん(昔、TVで見た「トムとジェリー」の中に「南国の土人」という白人の植民地主義の偏見に満ちた話があったが、内容が内容だけに今TVで見ることができない。というわけでわざと「土人」という言葉を使いました。)と旅をするのだが、この土人のおっさんが白人の坊主に気をきかせて肉料理を振舞うのだが、それは息子のかわいがっていた犬であったという、学校で見せる映画にしてはえらく残酷なフジテレビ系東海テレビ制作の昼のメロドラマのようなエピソードがはさまれる。 息子は激怒し、
「このうす汚い黒奴め、地獄へ堕ちろ!」
のような罵詈雑言は吐かなかったけど、まあ、喧嘩別れする。土人のおっさんは、
「俺様が親切で肉を食わせてやったのに、この白ん坊のガキは何を怒っているんだ。やっぱ白人はわかんねーや。」
みたいな不可解な、でも多少かなしそうな顔をして去っていく。
息子はさらに、何かの鳥の卵を太陽で熱く焼かれた石のうえで割り、目玉焼きをこしらえるなどのサバイバルを続けていく。きっとお腹を壊したことと思う。
実は、その鳥は先述の土人のおっさんがかわいがっていた鳥であり、今度はおっさんが悲しむという展開には映画のテーマは「文明の衝突」ではないので、ならない。
そうこうしているうちに、どこかで寝ている息子を捜査隊が発見し、息子は無事にパパと再会できるのであった。
映画は、「男は砂漠を経験することで一人前になるのだ。」のメッセージとともに幕を閉める。

時は大きく流れ1998年。エジプトでの一年の日本語教師の任務を終えて、帰国する時、私の脳裏に20年の空白をこえてこの言葉がよみがえった。
「男は砂漠を経験することで一人前になるのだ。」
私は一人前になったであろうか。

2005 3月25日更新
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