カマキリのお地蔵さま

「カマキリのお地蔵さま」という映画を見た。
幼稚園の講堂で見た。五歳の頃。その話をこれから書く。理由は無い。
物語はこうだ。
その前にこの映画に人間は一人も出てこない。
全部虫である。本物の昆虫を切り株の上に置いて、何らかの映像を撮り、それに声をかぶせるという、ある意味アナーキーな作りの映画だ。
そして主役がカマキリ。カマキリ故、カマがノコギリを連想させるのだろう、カマキリが木を切り、お地蔵様を作るところから物語は始まる。
そして目出度くお地蔵様が完成。チョウやカブトムシが色々とお備え物をするシーン
があったことと思う。
何しろ30年前に一度見て以来、一回も見てないので記憶は定かでない。
そのおぼろげな記憶を手繰り寄せるに、毛虫集団がそれを羨ましがり、お地蔵様を奪いに攻撃をしかける。
石油欲しさに中東に進出するアメリカを風刺しているわけでは勿論ない。
その攻撃シーンは確か、毛虫の塊と雷鳴のフラッシュバックであった。
カマキリやカブトムシがその攻撃をどのように防いだかは完全に忘却の彼方。
戦い済んで、嵐も止み、一面晴れ渡った空の下、無事お地蔵様は守られた。
そして映画は終わる。
五歳のガキに見せるくらいだから正味15分の映画であったことと思う。

当時カブトムシがヒーローであった。
昆虫図鑑の甲虫のページは何度も見るので、ページがほつれてとれてしまったものだ。
似たような経験をした人は多いことと思う。
それに反し、チョウ、蛾のページは目をつぶって飛ばすくらい、毛虫イモムシの類が大嫌いであった。
であるからこの映画はあの頃の私にとってジャストフィットな勧善懲悪物であった。
故に今でも覚えているのだろう。

それにしても、同じ芋虫でも、カブトムシやクワガタのそれならOKのくせに、蝶蛾、得に蛾の芋虫に関しては全く受け付けないのは何故であろう。
やはり親の姿が全てを決定するのか。
いや、そんな五歳やそこいらのガキに3高(懐かしいっすね。)の条件を揃えた男を求めるオネエチャンのような狡猾さはあるまい。
余談ですが、こういったオネエチャンがその後負け犬に変化するのが最近の傾向らしいですね。

やはりあのどぎつい色彩が原因なのか。
バッタを探し叢を覗きこんだとき目があったあの芋虫。あわてて叢から逃げ出した。
その叢も今はもうない。

だらだら書いてはいるが原因に心当たりがないわけではない。
同じく幼稚園の頃のある日、庭に大量に発生したアオスジアゲハの幼虫(これはアゲハチョウの幼虫と比べ頭にツノがあることに特徴がある。)を沢山捕獲して、ガラスの容器に入れたはいいが、気付いたら奴らが大脱走を慣行したのだ。あるものはトンネルを掘り、あるものはバイクに乗り、あるものは飛行機で、あるものはパスポートの偽造に才能を発揮する。
脱走は見事に成功した。
「何のあれは!」母親が指差す天井にはゆうゆうと這うヒルツ青虫の姿が。
床をブロンソン青虫が邁進する。
私は責任を取り、過酷な東部戦線へ左遷された…
もちろんそんな訳はない。

「とりかえしのつかないことをしてしまった!」
五歳児の心に刻まれた罪悪感がトラウマへと変わっていく。これが真実だ。
最後は、こんな真実を付きつけられ対処に困る皆さんに、そんな少年の「禁じられた遊び」を紹介して、終わることにする。

それは小学校高学年の頃の話。
少年はふと思った。
「蓑虫の蓑に火をつけたらよく燃えるのだろうか?」
同志を2人集い、庭中の蓑虫を集め、火をつけた。
しかし、イメージした程、燃え上がる感じでもない。
蓑が湿気ているからだろう。
同志の一人がどこからか灯油を調達し、芋虫に振り掛け、再び火をつけた。
今度は勢い良く燃え上がった。
黒い煙がもうもうと上がる。
黒焦げになった蓑の一つをめくると脱出しようと下部に移動した状態で焼死した本体の姿があった。

少年はお互いに顔を見合わせ沈黙した。

BGM クロードチアリのギター演奏による「禁じられた遊び」

2005年5月1日更新
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