アディオス!パコ・アグヘタ

パコが死んだ。
2年前の11月、パコ初来日、今となっては最初で最後の来日になってしまったけれど、
最後、高円寺のホテルのロビーで力強く握手をかわし別れた時は、すぐにも再会する勢いであったが、あっと言う間に月日は流れ、その握手が今生の別れとなった現実だけが立ちふさがっている。
この現実に対し、パコと自分の距離感から導き出される感情を正直に現すことにした時、私はここにパコとの日本での思い出をただ綴りたいと思う。

アディオス!パコ・アグヘタ

「空港」
成田で、僕は堀越さんと共にパコとディエゴの到着を待っていた。彼等が乗っているであろう、マドリード発成田行きの飛行機が到着してからどれ程か時間が過ぎ、出迎え口を通過する乗客もまばらになった。
「やつら来ねーな。」
焦れ始めた矢先。
「あ、来ました!」
といった感じで、唐突に二人がひょっこり現れた。
二人は思っていたより小さく見えた。
パコは僕を覚えていてくれた。
アンダルシアの弥次喜多、日本に上陸。

「カルネ」
スペイン語で肉のことを「カルネ」という。スペイン語を解せない中、この言葉を知っているのはヒターノのおかげだ。彼等の日本での食事は昼夜問わず肉である。
食事の時、堀越さんは彼等にこう尋ねる。
「カルネ?(肉か?)」「シ。(そうだ。)」
こんな感じで頻繁に使われる語彙であるため、覚えることとなった。
この「カルネ」という言葉は、もの凄くお腹の空いてる時や元気を欲する時などに発せられる「肉食べたい!」の「肉」と同じ感覚で使われるものと思われる。

大きなお腹をしたパコは、その外観を裏切ることなく大食漢である。
高円寺のステーキ屋で、一人だけ注文した特大ステーキを他の人より早くたいらげる。
「すいません。特大ステーキをもう一皿下さい。」
ウエイトレスに注文する堀越さんの声に皆が驚く。
パコはニコニコ笑うのみ。
もちろん、そのお皿もきれいになるのに時間はかからなかった。

ヒターノは一度行ったお店が気に入れば、その土地にいる限りはそのお店に通い続ける。
理由はいたって明快で、「この店の飯が美味しいのが分かっているのに、どうして他の店に行かないといけないんだ。飯が不味かったらどうするんだ。損じゃないか。」となる。
ある意味正論ではある。
そういう訳で、私も自分のフラメンコに対する不勉強さの怠惰の言い逃れとして、以下の言葉を使う。
「アグヘタのカンテがいいと分かっているのに、どうして他の奴のカンテを聞かないといけないんだ。」

「両国」
小柄ではあるが、横に大きいパコは普通のサイズの服では間に合わない。高円寺駅前の露天衣装売りのオヤジが巻き尺でパコの腹周りを計った後、サジを投げてこう言った。
「これは両国に行かないと行けませんな。」
僕は両国へ向かった。
駅を降りたら相撲取りの店ばかりだろうという考えは甘く、かつ両国に対する偏見であった。普通の洋服屋で、「相撲取り用の服を扱うお店は何処ですか?」などと聞いたりして見つけた件の店は駅から10分くらい離れた大通りの四つ角にそびえていた。大きく掲げられた看板では横綱が土俵入りをしていた。
「無地の奴より格子模様の奴が欲しいんだってさ。」
というパコのリクエストには答えられず、代わりに買った紫地に白いドットの入ったシャツのサイズは確か5Lだったと思う。
パコは翌日から握手をして別れるその時まで、ずっとそのシャツを着ていた。

「電車ヒターノ」
パコは動いている機械の上を歩くことができない。いや、できないのではない。嫌いなのだ。だから歩かない。
大垣から名古屋に向かう電車に乗った時、それは駆け込み乗車で、我々一行が乗ると同時に電車は動き出した。パコの前を行くディエゴと堀越さんは通路を進み乗降口付近の広いスペースへさっさと移動していく。だがパコは電車が動き出すと同時にぱったり通路の真ん中で立ち止まり、座席の角の把手をつかみ微動だにしない。パコの巨体に阻まれ、後ろの僕と俵さんも進むことができない。こうして次の停車駅に着くまでこの体勢で待つこととなる。
電車が止まった。
おもむろにパコは再び歩き出し、堀越さん達がいるところに向かった。到着したパコを堀越さんとディエゴが笑顔で迎えた。それにパコも笑って答えた。


「朝」
朝、一番早いのはパコである。いつもホテルのロビーへ降りていくと外でぼさーっと立っているか、煙草を吹かしているパコの姿があった。所在ないので、「カフェ?」と隣にあるホテルの喫茶店へ手招いてコーヒーを飲み時間を潰す。その間、会話はない。言葉の問題もあるし、もともとどちらも喋るほうではない。ま、それもなんであるから、なかなか降りてこない堀越さんを起こすことも兼ねて、堀越さんの携帯に電話をかけ、パコに渡す。無関心にパコは受け取り、耳にあてる。声が聞こえると笑顔になり、
「シャキーーっ!」後は何を話しているか分からないけど、しゃがれた声で嬉しそうに会話を続けるのだ。
そのうちにディエゴが降りて来る。

「シュガー・ベイビー」
「何するわけでもないけど、ただ歩くんだよな。」と堀越さんが言った。
朝食後は決まって散歩だ。
高円寺の街はぶらつくのに丁度いい商店街でもある。
カメラ屋でインスタントカメラを3つ買い、うち二つには「パコ」「ディエゴ」と名前を書いて手渡す堀越さんの姿があった。
休憩で、スタバやドトール系のコーヒー屋に入る。
パコが砂糖スティックを数本手にした。
そんなに使うのかと思ったら、ポケットにしまった。
「何だ欲しいのか。」と思い、さらに一掴み持ってきたら、「よこせ。」と目で合図するので渡すと、それもポケットにいれた。

場所は変わり、移動中の駅のホームでのこと。電車を待っている時、件の砂糖スティックを口に入れているパコがいた。飴の変わりだったのか。そのストレートさはある意味感動的である。

「エスペランサ」
東京に着いたその日、食事の後、挨拶も兼ねてエスペランサへ遊びに行く。その日は確かボケロンという名のアーティストが公演中で、そのフラメンコはアグヘタに慣れた身には随分とあっさりして物足りないものだった。堀越さんが、黙っているパコ、ディエゴを指差しながら耳打ちした。「こいつら、こんなものシギリージャじゃねぇって怒りながら聞いてるんだぜ。」
公演後、皆が座席やカウンターに座り、銘々飲むなり唄うなりしていた時、今まで黙っていたパコが急に口を開け、一節唸った。それは「フラ仙」1曲目や「富士山」3曲目にも収録されている、パコがアグヘタの父、ビエホから受け継いだパコの最も得意とする「ソレア・デ・ヘレス」だった。その一節は、この日はそれが全てであったというぐらい、今日の公演全部が吹き飛ぶ凄まじいものであった。
エスペランサのオーナーの田代さん曰く、これを聞いた後、翌日のチケットが飛ぶように売れたそうな。

「シギリージャ」
「シギリージャってーのは面白い曲で、ギターは同じフレーズを延々繰り返すだけなんだ。」
かって堀越さんが、そう教えてくれた。
そのフレーズにのって、さっきからパコは唄っている。
寄せては返す波のようにその唄は続く。
気がつくと15分は過ぎていた。

「拳」
アントニオ・モネアのようにパルマ(手拍子)だけの役割でステージに立つことがフラメンコにはある。が、唄い手自らが手をたたいたり、テーブルなどで拍子をとることも勿論ある。パコはさっきから唄いながら、自らテーブルをたたき拍子をとっている。が、そのたたき方が尋常でないのだ。唄の調べが壊れるのも構わないくらいに力強くテーブルを掌で打ち付けている。まるでその唄に込められた怒りを昇華するかのごとく。鬼気せまるものがある。そのライブを撮影していた僕は思わず掌に焦点を合わせクローズアップしたのだ。

「フラメンコ・サラヴァ」
パコ達と別れた翌日、僕は自分も手伝いをしていたピエール・バルー九州ツアー最後の公演地長崎にいた。そのライブ、いつものように最後は「サンバ・サラヴァ」だ。今回初めて日本語で歌われているこの曲は僕のお気に入りだ。そして何公演か関わったライブの時、勝手に心の中で、替え歌にして歌っていたものだ。
「糞ったれ!のないパンクはパンクじゃない。ラモーンズ、クラッシュ、ピストルズ万歳だ!」
だがこの時は「悲しみのないサンバはサンバじゃない。」と歌われた時、「悲しみのないフラメンコはフラメンコじゃない。」と思い、数日一緒に過ごしたパコの姿を思い出していたのだ。

ありがとう。パコ・アグヘタ。
最後にこれだけは言っておく。
フラメンコでパコと言ったら、パコ・デ・ルシアのことではなく
あんた、パコ・アグヘタのことを言うんだぜ!

アディオス!パコ!

更新日2005年12月17日更新
雑兵は不定期更新です。
ご感想、ご意見などありましたら、
aficionrecord@estate.ocn.ne.jpまでお願いします。