ふちがみとふなととN

EGO SUM RESURRECTIO ET VITA ―我は復活なり―

ラテン語で書かれた聖書の言葉が祭壇の上部の壁に大きく刻まれている。
日本語で歌われる「アメージング・グレース」の透き通った歌声が天から降ってくるように聞こえる。午後4時。がらんとした礼拝堂。
歌っているのは渕上純子さん。
今日10月29日。ここ九州キリスト教会館@舞鶴in福岡で「ふちがみとふなとカルッテット」のライブが開かれる。
そのリハーサル風景。
私はそれを聞くたった一人の観客。
私はそのライブの手伝いをしていたので、そのような特権を得たのだ。

警固本通りはなだらかな坂道で、その沿道ぞいに、駅伝で有名な筑紫女学院や学歴詐称で有名な古賀純一郎の住むマンション(余談であるが、通ってもないのに「俺も松下村塾で松陰先生の教えを請うた。」とええ格好をした山県有朋は学歴詐称政治家第一号ではないかしらん。)などがある。またソフトバンクホークスの王監督が鯛の刺身を買いに来る魚屋さんなどもある。ちなみに単身赴任のワンちゃんは一人で鯛一匹は食べきれないので、いつも半分だけおろしてもらう。残った商品価値のなくなった半身はどうなるのだろう。心配はいらない。魚屋のおやじは、その半身を持って向かいにある寿司屋に駆け込む。そして鯛をかざして、こう怒鳴るのだ。「たった今、王監督がこの鯛ば買いよったと!おやじ買わんね!」カウンターに座っていた客は、その言葉に反応して一斉に言うのだ。
「王監督が買った鯛なら、ワシも食べたか。おやじ、握りくさ。」「おいも。」「おいも。」こうして、アマゾン川にはまった牛があっという間にピラニアに食われ骨だらけになってしまうように、半身の鯛はあっという間に骨だけになる。ここで雰囲気で書かれた博多弁はきっとネイティブから見たらデタラメなものであることをお詫びしておく。そして王監督は、私がこれから書こうと思うこととはおよそ関係がないのも確かだ。
そんな名所!?にあふれた警固本通りには沢山の飲み屋さんもある。そんな一軒に「クリスティーズ」というお洒落なイタ飯居酒屋がある。そこでダイエーホークスが初めての日本シリーズを迎える直前、王監督はニュースキャスターの娘(名前失念)と共に会食した。その時、外から店内が見えるため、王監督見たさに外には沢山の人だかりができたそうな。王監督の話はもういい。
ワンちゃんの登場で話が大きく逸脱してしまったので、唐突にここで流れを変える。
でも、この雑文の中で、もう一回、王監督が登場することをここで予告しておく。

♪街を行くあの子の名はヘブン みんなが彼をそう呼んでる ヘブン

ライブは「ヘブン」という曲で始まった。
渕上さんは言葉を一語一語大切に空気の上に置いてゆくように歌う。
その言葉はベース、クラリネット、ピアノの音色に暖かくつつまれ、その温もりがオーディエンスの体を、心を暖めてゆくようだ。

「ふちがみとふなと」の名前を初めて知ったのは、よく行く名古屋のライブハウス「得三」で貰った沢山の折り込みチラシの中の一枚でだったと思う。どういった内容の音楽をするのかといったことより、その名前の特異さから妙に印象に残り、折を見てライブを見に行こうと思うようになったのを覚えている。今思えば、そのライブは高田渡との共演であり、今となっては永遠に見ることができないものでもあり、大変に悔やまれる。

二度目にその名前に出会ったのは、警固本通りにある、行きつけの飲み屋「ハイサイ」でのこと。
常連客のNさんが、こう切り出した。
「Mさんが自分の好きなミュージシャンを応援しているのは、僕にはすごく良く分かるんですよ。今度僕の応援しているミュージシャンのライブがあるんです。良かったら来てくれませんか?」
年下の私に対し丁寧な言葉、私に限らず誰に対しても、そして人懐っこく話すNさんは、そう言うと掌に大切に隠していた小さな紙を私に見せた。
私はそんなことを言われる程、フラメンコに純粋ではないなと、まず当惑と恥を覚え、そして自分の趣味の対象外の音楽だったらどう反応したらいいだろうと、差しあたった問題にも当惑しつつ、紙を覗き込んだ。そんな私の目に飛び込んだのは「ふちがみとふなと」の文字だった。
「僕、この名前知ってます。」
予想外の再会に驚きつつ、そう答えた。
そのライブはアグヘタの来日と重なり見ることができなかった。
そして、Nさんこそが、「ふちがみとふなと」を初めて福岡に呼んで、地道なプロモーション活動(ダビングしたカセット、CD-Rではない!を会う人、きっと飲み屋さんのカウンターで会う人だと思うけれど、ごとに手渡し音世界を浸透させ、赤字は自腹を切るライブを主催するといった)の末、今の人気に至らしめたことは最近になって知った。

「ふちがみとふなと」、通称「ふちふな」、以後、この文においてもそちらを採用する、の音世界に初めて触れたのも、同じく「ハイサイ」でのことだった。
Nさんとの出来事から、どれほどの時間もたってない頃。
別の常連客のKさんが、i-podに取り込んだ音楽をランダムに流していた。
すごく聞き覚えのあるメロデイーが関西弁でがなり立てられている。これは間違いなく、ポーグスの「Fairy Tale of New York」である。
「これってポーグスじゃないですか?」
「そう。」
「誰が歌ってるんですか?」
「ふちがみとふなと。」
Kさんが渋い低音でぼそっと答えた。
これが「ふちがみとふなと」なのか。
この時、私は「ふちふな」は自分の好きなバンドであると確信した。
そして、Kさんの仕事が音楽のプロモーターであることは前から知っていたけど、Nさんにより、伝播された「ふちふな」にすっかりやられ、プロモートを引受けるようになったのは最近になって知った。

♪ハイサイのマスターみたいに 何でもダジャレにされたら
 そのひたむきさに打たれ くすりと笑うかもしれない
 単純に 簡単に 唐突に あっけなく

お酒で完全に出来上がるとNさんは、本来の姿、妖精へとかわる。
妖精になったNさんは天真爛漫にスキップしながら警固本通りを上り、通りの一つ向こうにある小高い丘の上にポツンと建つ、まるでおとぎ話にでてきそうな建物のようにただずんでいるアパートへと帰っていく。
そんなNさんの姿は警固本通りに出没する酔いちくれの最終到達点であるバー「テーブル・グレード」の大きな窓のスクリーンに毎夜映し出される。

今回のライブはピアノの千野秀一、クラリネットの大熊亘を加えたカルテットでの演奏になるが、本来、「ふちがみとふなと」とはボーカルの渕上純子さんとベースの船戸博史さんの二人よりなるシンプルなユニットである。
シンプル故、二人の器量が問われることになる。
昨年、ミゲル“ヒターノ・デ・ブロンセ”パストール様の神通力によりフジロックフェスティバルに出演してしまった我々LOS AGUJETASであるが、その出演が終わった後、私と堀越さんは次の出演者UAのステージを見ていた。我々の時の10倍はいた観客の中、コンビニサンドイッチをほおばりながら、堀越さんが言った。
「奴らは楽団引き連れてるから楽でいいよな。」
(注 UAは別にビッグバンドを引き連れていたわけではなく、バックは5人程である。
   堀越流諧謔的言い回しである。)
「ミゲルやディエゴはギターがなくたって唄えるんだ。」
一見、身もふたもない意見ではあるが、カンテ・フラメンコの本質をついたお言葉でもある。ギターとパルマの他は何の後ろ楯もない故、歌い手の裁量のみで空間を埋めなければならない。気を抜く暇はない。ごまかしの効かない世界だ。
もっとも、じっくりと唄を聞くに終始するカンテと体でリズムをとり踊りながら聞く楽団付き音楽を同じ土俵で比較しても始まらないのを度外視した意見ではある。
初めて「ふちふな」のライブを見た時、そのことを思い出した。
ひたすら内へ内へと埋没するカンテに比べ、カラっとした楽しい気分で空間を埋め尽くす「ふちふな」はカンテと楽団付き音楽の丁度真ん中に位置するのかしらんと思ったりした。そして今、ブリジット・フォンティーヌとアレスキーのことを考える。
考えていたのは、「ふちふなカルテット」のライブの打ち上げの時で、
その矢先、渕上さんがフォンティーヌのライブを見た話を話題にしていたので驚いた。
音世界を作るにあたり、フォンティーヌとアレスキーの影響もあるのではという気がする。これから私は人に「フォンティーヌとアレスキー」を説明する時はフランスの「ふちがみとふなと」であると言おうかと思う。
誤解を恐れずにと言うか、私個人の主観の中では、「ふちふな」の方が上である。日本人であるならそうだろう。それは言葉の問題で、渕上さんの詩におけるユーモアや美しさは一語一語噛みしめることができるのに対し、フォンティーヌの場合は直接的に入ってくることができないからだ。フランス語が理解できるのなら変わってくるかもしれない話ではある。
ふと、この文を書いていて自分の文体が非常に司馬遼太郎であるのが気になってきた。きっと『翔ぶが如く』を読んでいる最中だからだろう。今、西郷さんは征韓論を成就させるため奔走している最中である。光に虫が集まるかの如く、人が引き寄せられる西郷という人物の発光体と同じ魅力をNさんは持っているのではないか。筆はNさんのことについてどれ程も述べてはないがつい書いてしまった。そして西郷隆盛に大久保利通がいるように、Nさんにも好敵手のAさんがいる。西郷Nに大久保A、警固本通りから六本松にかけての飲み屋さんに出没するこの二人こそ本物の人物であると私は密かに兄のように敬愛し、自分の臓腑の腐り止めとしているのである。

告白しよう。この本文と何の関係もない逸脱も甚だしいくだりは楽屋落ちで、NさんとAさんが誰であるか分からなければ、面白くもなんともないのは重々に承知しているのである。そして、このくだりはNさんとAさんのことをよく知っていて、いつも拙文に感想を言ってくださる六本松の「サライ」の皆様に捧げられるのである。
サライのMさんから「こんなもの捧げられても…」と言われそうである。

渕上純子さんの澄んだ何処までも透明な歌声は不思議な魅力がある。
楽しいユーモアあふれる詩が元気よく歌われると、聞いているこちらも幸福に元気な力が漲ってくる。
何気ない日常の一コマ、旅先でのスケッチが詠まれる時は、何か懐かしさと寂しさに溢れ切なくなる。もう戻ることはできないのだ。

♪毎日会いたい人がいる時には 少しでも長い間そばに居たい  
 願いながら眠るけれど 夢には一度も現われない

夏の夕刻。午後七時を過ぎても空は夕焼け色だ。舞鶴公園のだだっ広い芝生の一角で、もう子供とはいえない一団がキャッチボールに興じている。球は時折、大きくそれ見当違いの方向に転がっていく。薄暮の空気の中を球を追いかけ走り抜ける。身を屈め、葉が疎らなツツジの枝をかき分け中に挟まった球を探す。草と泥の匂いが鼻をつく。この時間のこの匂いのことは20年以上忘れていた。

純子さんが歌の合間に吹くピアニカについて話そう。そのピアニカは紛れもなくロックである。私の二大ピアニカ奏者は渕上純子とオーガスタス・パブロだ。
そして私は二人の他はピアニカ奏者を知らない。

野球帰りの私とNさんが「サライ」のカウンターに座っていた。野球というのはNさんが最近情熱を傾けているもので、Nさんの仕事の同僚を軸に発足し、Nさんの飲み屋でのスカウティングの結果、そのメンバーは日毎にどんどんと増えている。チーム名を「キザパン」という。その日は私が練習に初めて参加した日だった。また、その日の早朝は、警固本通り飲み屋連合主催の海辺でのバーベキューに(何故早朝なのかは、それぞれの店が閉店してから行われたから。どの店も閉店時間は午前5時過ぎである。)参加し、海に飛び込んだ。そして夕方は野球である。私は夏休みのど真ん中を歩いていたみたいである。
その繋がりのボルトがアルコールであることが、少年ではないことを思い出させる。
遊び疲れ畳で寝ている少年の頬を扇風機がやさしく撫でるように、店では純子さんの歌声が流れていた。
そこへKさんがやってきた。Kさんもその日は練習に参加してないがキザパンのメンバーである(蛇足ながらAさんも)。音楽と野球で繋がった三人というわけではないが、話はラモーンズのことになった。
「ミャミャミャ、ミャミャミャって、曲で子供の頃、踊ってたんですよー。」
酒がすすみ、呂律の回らなくなった声でNさんが話す。  
ちなみにラモーンズは名古屋出身のバンドではない。
「うんっ、うんっ。」
Kさんが短く切ってうなずいた。
私はぼーっと座って、グラスに口をつけた。
三人を形容して、サライのMさんが言った。
「長男、次男、三男ね。」
背景では、変わらず「ふちふな」が流れていた。
L字型カウンターの向かい側には、ドブサライの3Nが座る。
今日は日曜、ヤバンの帰り。

最後の一節の意味が知りたい方は是非、日曜日に六本松の「サライ」へ足を運んで下さい。素敵なオーナー夫婦が暖かく迎えてくれます。そして運が良ければ、他の店では会うことのできない百花繚乱魑魅魍魎な酔いちくれのカオスに遭遇できることでしょう。

酔ったNさんの常として、立ち上がり踊り始めた。そして店外へ消えていった。

京都の街中を男がキコキコ自転車を漕いでいる。
何でもない風景であるが、一つだけ特異な点がある。
男は自分の身の丈より大きなウッドベースを担いでいるのだ。
そんな船戸さんの姿をよく見かけると、
京都の野球チーム「浄土寺レンズ」のキャッチャーが言った。

そんな人の弾くベースは素晴らしいに決まっている。

当日のライブには80人くらいの人が集まった。
特徴として、誰しもがそこかしこに知った顔を見つけることができるというのが
言えるかもしれない。概ね、それは飲み屋のカウンターで会ったことのある人である。

Nさんのダビングしたテープが飲み屋のマスターに マスターが常連さんに
常連さんが友人に 友人が行きつけの飲み屋に

という感じで伝播された結果が、この繋がりになったのだと思う。
開演間近に駆け付けた体格のいい一団は、練習帰りの「キザパン」のチームメイトだ。
普段はカウンター越しの付き合いである、店主と常連さんも
今日はカウンターはない。
演奏が終わると、店主はライブの余韻を引きずったまま店をあける。
ぼちぼち常連さんも戻ってくる。

♪宴は店を 夜を とおすよ

そんな感じで夜のふけていく店があちこちにあったことだろう。

あるパーカッション奏者が私に言ってくれたことがある。

“個人の美学よりも もっと大きな美学が音楽にはある”

Nさんという一人の人間の愛情が全ての始まりであることを思う時、
私は今回のライブにその言葉の実現化したものを見る。

演奏中、誰よりも楽しく、喜びを全身で現し踊っているNさんの姿が客席の最後尾にあった。

ポーンと白球が青空に舞い上がる。
前日の大雨が嘘のように晴れた秋の日の土曜日。
Nさんの40歳の誕生日を記念して、「キザパン」初の対外試合が京都より馳せ参じた「浄土寺レンズ」との間で行われた。
「浄土寺レンズ」はかって京都で暮らしていたことのあるNさんの友人により結成されたチームである。(同じく京都を中心に活動している「ふちふな」にも、その頃出会う。)

外野の芝生の上に立ってホームを望むと、バックネットの向こうに赤坂のオフィスビルが
見え、その上には青空が果てしなく続く。
その青空のキャンパスを引きちぎるようにジャンボ機が下降していくのが大きく見えた。

「音楽は素晴らしい」と改めて思わざるを得ない。
目には見えない国、音楽でつながる国、「耳国」こそ、誰もが幸福に暮らす世界一平和な国である。
本ライブ二回目のアンコール曲、最近の「ふちふな」ライブの定番ラストナンバー、「耳国国歌」について、私は今そのように思っている。

♪たららっらっらーら たららっらっらーら 耳ーっ 耳ーっ

余談であるが、私の耳国の大統領はジョー・ストラマーである。


試合後、中華屋さんで打ち上げ兼親睦会が開かれる。狭くはないお店が両チームのメンバーにより占領された感じだ。
「Nさんがこれだけの人を集めたのだ。」
誰彼無しに、このセリフが口に出る。
店の真ん中には、
楽しみつつも、気配りを怠ることなく全体を見回しているNさんの姿がある。
そんなNさんだからこそ、人も集うのだ。
紹興酒の入った細長いポットが数えきれない程出たあたりで、一次会(これで飲み止めということがあろうか。)が終了。
店の外に出るとNさんが胴上げされたのは自然の流れだ。
ポーン。ポーン。ポーン。
細身で軽いNさんの体が夜空に舞い上がる。

そんな私たちを目を細くして見つめるのは、店に飾られた写真の中の王監督。

「ふちがみとふなととN(と王監督)」 ―終わり―

おまけ
《替え歌ヘブン》

警固を行くあの子の名は ヘブン
自転車引いて歩いてる ヘブン
六本松の路で 今日も眠ってる
暁の街
いつしか西の背に 日が昇るよ

月で吠えるあの子の名はヘブン
ハイサイで飲めば会えるさ ヘブン
明かしのサライでたのしくやってたら  
必ず会える 
気がつけば君の横で 踊ってる

月で会ったヘブンとサライに
サライにはノブとシン
ニノミヤにアカシ
ごきげんなヘブン
宴は店を 夜を 壊すよ

街を行くあの子の名は ヘブン
自転車引いて歩いてる ヘブン
警固の呑屋さんで 今日も歌ってる
他所者でなきゃ会える ヘブン

僕の買ったタバコが君に
君の酒がヘブンに
ヘブンはごきげんに
ごきげんなヘブン
宴は店を 夜を とおすよ

街を行くあの子の名は ヘブン
みんなが彼をそう呼んでる ヘブン
警固の呑屋さんで 今日も踊ってる
他所者でなきゃ会える ヘブン

更新日2005年12月22日更新
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