大阪は難波のマザーホール。
7月27日。今日はポーグスの再結成、来日ライブだ。
フジロックと東京と大阪のみの公演。
東京でのチケットが買えずに東京から来ましたという人と開演前の待ち時間、話をした。
かくいう自分も福岡から来ているわけだ。きっとそんな風に全国から人が集まってきたのだろう。ホールには1000人以上の人。もちろん超満員だ。
会場の明かりが落ち、観客の興奮が絶好調に高まる中、クラッシュの「ストレート・トウ・ヘル」が流れる。ジョー・ストラマーの声が言う。「地獄へ堕ちるんだボーイ」
「地獄へ堕ちるんだボーイ」。歌が終わり、ステージに男たちが姿を現す。観客の歓声が一段と高まる中、最後に現れる一人の男。彼こそ地獄から舞い戻ってきた男。シェーン・マガワン、その人だ。そしてポーグスの完全復活。間を置くことなく「ストリームス・オブ・ウイスキー」で演奏は幕を開け、観客はサッカー、アイルランド・ナショナルチームのサポーターと化す。勝てないかもしれないが、負けもしないアイルランドサッカーはそのままアイルランドの、ポーグスの歌の世界であり、それを愛する人々の人生だ。格好の悪い人生かもしれないが、俺たちは生きるのさ。文句ある?涙という湿った代物のかわりにビールを15パイントほどやる。もちろんギネスだ。そしてどんどんと進んでいく。ウイスキーの川が流れるところ。福岡では焼酎の川が流れるところ。場所でいうなら警固本通りから六本松。俺は毎夜さまよい歩き、そして沢山の友に出会った。この文をその友たちに捧げる。
いつからポーグスはスキンヘッズになったのか?第一印象はこれだ。メンバーのほとんどが髪の毛を歳月の流れで洗髪するうちに無くしていた。昔と変わらないのはスパイダーとドラムのアンドリューくらいだ。我等がシェーンは髪の毛こそ昔のままだが太ったようで、随分というわけではない、デカプリオみたいであった。勿論、シェーンの方がデカプリオより男前だ。そして片手にはいつも透明なプラスチックのコップ。中身は水?歌って喉が乾く時にチビチビと水を飲むだろうか? ライブ終了後、バックステージへ行った人の話で、それはジントニックと判明。
シェーンは歌う。かって、人生の借りを返すために、運命の皮肉に契約を履行させるために、大量のアルコールと引き替えに吐き出した言葉の数々を。河がすっかり干上がった泥の中から這い上がった今、シェーンはすっきりとした顔をしていた。言葉を一つ一つ噛み締めるように歌った。言葉を吐き出した頃の自分が、神の恩寵を受け救われることを祈るように。それでいいのさ、シェーン、あんたの歌によって俺たちの人生にどれだけ明かりが灯ったことか。俺たちにとり、その歌たちはまだ祈りや救いではなく、くそったれな人生に契約を履行させるための手段だ。そして歌たちは“俺たちの歌”へと変わる。英語が分からなくとも“ダーティー・オールドタウン”と“レット・ミー・ゴー・ボーイズ”と歌うことは出来るのさ。
ライブを振り返るうちに、メスカレロスの頃のジョー・ストラマーがクラッシュ時代の曲を歌っていた姿にシェーンの姿が重なった。よく再結成したバンドに否定的な意見を聞く
が、つまらないと思う。人は生き続けるしかない。
がんばれロックンロール!パンクは死なない!
キープ・オン・ムーヴィング!アンド ドリンキング!そして平和。
ポーグスの曲の中で一番好きなのは「Young Ned Of The Hill」。
ある意味、一番アイルランド気質が濃縮された曲で、世界史上の人物オリヴァー・クロムウエルが呪われることになる。純粋な憎悪が痛々しい。が、それ故、虐げられる者へのシンパシーを強め、何かアイルランド人でもないくせに拳を強く挙げたりする自分がいる。
そして、この歌が、今ジョージ・ブッシュによる弾圧と戦っている世界中の人々に届くことを妄想し、さらに拳を強く握りしめる。自由を。正義を。民主主義を。
そして俺はマザーホールの日本人。楽しみだけを求めている。
「ブラウン・アイの男」とは誰のことだろう?歌詞を読むと飲んだくれの男がいつも飲むウイスキーのラベルに男の顔が描かれており、その男の目が茶色で、それを求めてさまよい続けているのかなと思ったりするが本当のところは分からない。もっと大きく、その男の運命なのかなという気もする。ともあれ悲しいところが凄く好きだ。さまよい続けるのは俺の人生も同じだ。そして俺は自分の「二つのブラウン・アイ」を求めて、夜毎、焼酎の川がが流れるところを歩くことになる。その川沿いでたくさんの人に出会った。その濃度はアルコールと同じで薄い水割りもあれば、ストレートもある。そして今の俺にはそれしかない。歌を聞いてる間、いくつかのシーンを意識的に回想すると、目に涙が浮かんだ。ある時、夜中の3時にKさんと道路の真ん中で相撲をとった。皆がそれを見て笑った。雨の降る夜、ご機嫌に酔ったNさんを高台にある家まで送った。うっそうと生える草の向こうにポツンと立つアパートの前で、天真爛漫にはしゃぐNさんはケルトの妖精に見えた。俺の探すブラウン・アイはそんなシーンの数々の片隅で俺を見つめているような気がする。
今日何度目かの巨大なアイルランド国旗が頭上を流れて行く。モッシュにダイブ。
観客の頭上を転げ回っていくのは、体格のいい白人が多かった。
常々思うのだが、ライブ会場で一番人の動きが激しい場所は最前列の次の列から4、5列目で、一番前は柵にもたれることもできて、案外楽であると思う。一番前をとるほどには早く来ず、それに一番前というのもちょっと…と奥ゆかしさなども出し、だけど近くで見たいぞ!という矛盾も働き、結局、一番激しい地区に立つことになる。
ここに立ったらもう戦うしかないのである。体格の問題もあると思うが、強く動けば動くだけ前に出ることを経験で知った。そして気づくと一番前から2列目には出る。一番前は柵にしがみついて常に死守しているから、最前列に出ることはない。もう戻ることもできない。きつくなろうが人の圧迫に身を任せ、空間に溶け込むだけだ。ハイになれ。
アンコール2曲目、「サリー・マクレナン」。その時、シェーンと俺の間を阻むものは1メートル程のステージと観客席の間のスペースと柵、一番前で柵をつかんでいる人間だけだ。そして後ろから強く押されるため、チューブから捻り出る歯磨き粉のように上へ上へと競り上がり、案外、最前の人間よりシェーンに近づいたかもしれない。
後は「Far away!(遠くへ!)」と力一杯、叫ぶのみ。
戦い済んで日がくれて、絞れるほどに汗のしみ込んだ緑色(アイルランドだぜ。)のTシャツとシャワーを浴びたような髪の毛と踏まれ続けた左足の中指の痛みと枯れた喉。
そしてもちろん最高の幸福感。サンキュー、シェーン、アンド ポーグス!そして同じ時を共有した会場の人々、そしてスタッフのみなさん。その全ての幸福な化学反応がライブなんだ。ピース アンド オール ウイ ニード イズ ドリンキング! オフコース ギネス ビアー!
会場で知り合いになったカナダ人に連れられ、近くのアイリッシュパブに行った。
そこには、次々とライブ帰りの人が集まって来た。
ギネスビールにフィッシュ&チップス。
スピーカーから流れるのはもちろんポーグスだ。
再び皆、立ち上がり、腕を取り、肩を組み、輪になって踊り、歌い、叫ぶ。そしてハグ。
国籍、性別の区別はない。
今、この瞬間の幸福を分かち合おう。明日になればそれぞれの現実って奴が挨拶に来るのだから。
名前の知らない者同士、一期一会の出会いで店を出た後はもう会うこともないだろう人たち。そんな者たちを幸福に一つにしてしまうポーグスはやはり最高のバンドだ。そして音楽というものの力の凄さを改めて思う。それは一瞬の出来事かもしれない。しかし、その瞬間が世界中で継続的に続いたらどうだろう。平和な世界って奴が現れるんじゃないか。
今宵はそんなことを言っても許してもらおう。
音楽の神様たちに乾杯!
とりわけジョーとジョーイに乾杯!
悪いけどシェーンはまだまだこっちにいるよ。
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