フラメンコの仙人たち
収録レポート
前哨戦その3
香港

香港には昼過ぎに到着した。ロンドン行きの飛行機は夜11時発である。
空港にいても仕方ないので市街へと繰り出す。
一人旅であるなら、あれこれ迷ったり、ちゃんと戻って来れるよう地形をインプットするなど緊張感をもって臨まねばならないのだが、香港はトランジットを含めると10数回という森田さんが引率してくれるものだから私はアホゥのように後をついて歩くだけである。ジス・イズ大名旅行である。
こういうのは非常に楽であるのだが、その分、詳細についての知識が消し飛んでしまう。何がいくらで、日本円に換算するといくらで、地名、どこに何がある等、今度一人で香港に来る時があったとしても初めての時と何ら変わらないだろう。
これは非常に恥ずかしいことかもしれないが私は香港が島であることを知らなかった。
そんなわけで空港から市内までを結ぶ、オハイソな列車の車窓に広がる海風景に心を奪われるのである。しかしこの列車は往復で3000円とえらく高い。そりゃ確かに座席前にはモニターが埋め込まれたり高級感一杯であるが、こんなものなくてもいいものであるし。福岡から3000円もだせば長崎くらいまで行けるだろうが、実際乗った時間は姪浜から貝塚くらいのものだ。
あきらかに「お前ら観光客は銭をぎょーさん持っとるんじゃけぇ、それぐらい出して
もいいじゃろが。」という観光地根性剥き出しである。
内情も知らずに勝手なこと言うなとクレームの来そうな身もフタもない書き方である、しかし。
ともあれ市内へはバスを利用することをお勧めする。半額ですむし、2階建てバスの一番前の席などみんな恥ずかしくて敬遠するからガブリツキで車窓風景も楽しめます。
当然、我々はガブリツキだ。「ウヒョーッ!カッコェー!」アホゥである、しかし。

竹ざお組んでコンクリートを流し込むのが香港での建築方法だ。
それこそ竹の子のようににょきにょきと高層ビルが立っている。
それにしても暑い。暑いだけならいいが、湿気がすさまじい。
あの高層ビルが天を突き破るならば、街が埋没するくらいに水が落ちてくるのではないだろうか。
そして道を埋め尽くす人の群れ。うかうかしていると人にぶつかってしまう。
ローレックスのバッタ物を扱う売人が鬱陶しい。
「ロレックスノニセモノ、チョトミル?」
「ちょっと見ない。」
歩いていくうちに私は疲れを覚えた。
肉体的なきつさではない湿気と人を避けたるために歩調変えたり止まったりする煩わしさからくる精神的なものが原因であろう。
いうなれば自分はこの街のリズムに自分を合わせていない。これではだめだ。
というわけで、気持ちを切り換え私は全てを受け入れた。
蒸し暑ければ蒸し暑いが如し、他人に触れるなら触れるが如し、歩調が遅ければ遅いが如し。こうして私は香港の一部になる。

ちょっと腹ごしらえにと下町の小汚い中華料理の店に入る。
思いっきり小汚いと書いているのも何である。
店というよりは吹き抜けの土間にいくつもテーブルが並んだだけの地元のおっさんでいっぱいの場所である。メニューを見るがさっぱり分からない。
こんなことなら唐人閣のメニューをもっと真剣に覚えておくべきであった。
チャオフォーサンティ(意味不明)とか言ってウェイターの兄ちゃん(こういう店というのは女気ゼロである。)を微笑ませるのも国際親善というものだ。
唐突にでた唐人閣とは福岡にある中華料理の店で詩人の小川英晴氏が一週間、昼晩食べつづけたマーボ丼で有名である。これまた唐突な小川英晴氏であるが、以前読んだ
堀越千秋氏の『渋好みフラメンコ狂日記』においても脈絡なく登場する同氏であるのでこれはありとしよう。
話はメニューだった。
しかし心配無用、ここは香港、かって英国植民地だった場所である。
英語バージョンが存在する。
だから実際は苦もなく炒飯と肉団子のラーメンを頼めたのであった。
肩をたたかれ振り向くと小柄な兄ちゃんが物凄く嬉しそうな顔で炒飯を置き足早に去っていく。炒飯にしてはご飯がベトついていた。量が尋常なく多かった。テーブル下には黄色いバケツがあり煙草の吸殻入れとなる。
青島ビールを一杯。旅は始まったばかりだ。

香港の雑踏を歩くと至るところ新聞や煙草を売るスタンドに出くわすのだが、けっこう堂々とエロ本が売られていることに気づく。
あの人ごみの中で中身を物色し購入にいたるにはそれなりの修行が必要であろう。
未熟者である私は表紙を盗み見るにとどまる。
香港というのは何でも漢字表記にする頑なさが素敵で、横文字表記(中でも英語より伊太利亜語や仏蘭西語が上位に属する)を格好いいとし、自国の言葉を見下す負け犬国民日本人は見習わなければならないと思うのであるが、だからそれがどうしたかと言うとエロ本の表紙もやはり漢字で埋まっていて、その中の「極上逸品」という表現が気に入ったという、ただそれだけのことだ。
何か出版物としては最下層に属するであろうエロ本も、こう表記されると少しは昇進する感じだ。日本でよく見うけられる「爆乳」だとか「巨乳」という身もフタもない表現と比較されたし。
話は飛ぶのだが、エジプトではよくおっさんが路上に中古雑誌(日本人観光客が捨てたジャンプとかスピリッツもある。)を並べて売っているのだが、若者が物色していると「兄ちゃん、もっと良いもんあるでぇ。(なぜ関西弁になる)」と路地裏に連れていかれ、そこでギリシャ経由のエロ本(当然無修正だ)が売買されるそうであることをかってエジプトで日本語の先生をしていた時、生徒から聞きました。戒律の厳しいイスラム社会での涙ぐましい努力の一つとして認識していただきたい。

暑さと湿気のなかで汗だくになったかと思うと効き過ぎた冷房の室内で汗を乾かす。
香港ではこれの繰り返しだ。
その何度目かのオン・ザ・ロード。
街を縫うように走る自動歩道橋。(エスカレーターの平べったい、勝手に運んでくれる、空港によくある奴)
時刻は午後6時を過ぎている。
家路を急ぐサラリーマンがとどまることなく流れていく。
「香港はさすがに白人が多いですが、彼らは中国語にも堪能なんですかね。」
「いや、やはり中国人に英語を話させるんじゃない。」
「相変わらず白人は舐めくさっとりますね。」
「アングロサクソンだからねぇ。仕方ないよ。」
「そんなアングロサクソンはこの際地球上から抹殺すべきではないでしょうか!」
ドンッ!(机をたたく音)
「極左のアラブ人じゃないんだから…」
そんな会話が弾んだころ(弾ますなよ…)
即席で狂信的反植民地主義者に変わった私はすれ違う英国紳士に思いっきりガンを飛ばしてしまったのであった。
いきなりモヒカンの上背のある男にガンをつけられて彼は驚いたことだろう。
「なんだこいつは。俺が何をしたという。」と思ったか、
はたまた「日本に向かう途中のフーリガンか。そういえばワールドカップ近いしな。」
と思ったか、ともかく悪いことをした。

そろそろ空港に向かわねばならない。ここで渡し船(スターフェリーという)に乗るのだが、このあたりの地理関係については前述の通り森田さんの後ろをただアホゥのようについていただけの私にはさっぱり分からない。
日もすっかり沈んで、でも変わらず蒸し暑い香港の夜がそこにある。
何度かパラついた雨のため全体に靄がかかっている。
海に面したビル郡に掲げられた電飾の看板が夜空に彩りを加える。
100万ドルの夜景という奴か。真っ黒な海面をフェリーがゆっくりと進む。
エンジンと潮の混ざった匂いが鼻をつく。
いくら蒸し暑くとも海上は心地よいものだ。
規則的にエンジン音が響き、それとともに作られる船の軌跡の波の音。
海を眺めているのは我々、観光客くらいのもので、多くの人にとっては交通の手段に過ぎないのだろう、ただ座り時の経過を待っている。10分もすると対岸が見えてきた。
桟橋にいる男がロープを投げフェリーのクルーが船に括り付ける。
そしてフェリーが桟橋へと手繰り寄せられる。
護岸の古タイヤに船が鈍く接触するとタラップがおろされ固定される。
作業完了。
男達は今日何度この作業を繰り返したのだろう。
そして後、何回この作業を繰り返せば1日の労働から開放されるのだろう。
桟橋には次の乗船を待つ人がいる。我々は街を後にした。
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更新日2006年6月13日更新
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