フラメンコの仙人たち
収録レポート
前哨戦その4
座席考

シャワーを浴び、ジャージに着替え、コンタクトを外す。
長時間飛行機に乗る態勢は整った。旅にジャージは必需品である。
おめかしして、窮屈な格好で狭い座席に長時間包まるなどアホゥのすることである。
私はそういう快適さの追及にかけてはお利口ちゃんである、と書くに至ってはアホゥである、しかし。人間、バランスが必要だ。
とはいえ、田舎中学生の紺色でピチピチのジャージをはいて旅立つには、それなりの訓練を積まないと成し遂げることは出来ない。私はこの訓練を何度トライしても途中で放棄してしまうのでナイキのスソの広いやつで妥協するに至る。
こんな話ばかりしているとスペインにいつまでたってもたどり着けないし、肝心の部分で本人の執筆のテンションが下がってしまうので先を急ごう。
と言いつつ、また飛行機の話だ。
いや、飛行機をバカにするなかれ、10日間の旅のうち約2日は飛行機にいるのである。全体の2割だ。その部分の話がどうしてないがしろに出来よう。
何しろ人間を理不尽に長時間、狭い空間に閉じ込めて何も出来ないようにさせては本人の意志と無関係に定期的に食物を食うことを要求するのである。
我々はケンタッキーの鶏ではない。
だから恨みつらみも溜まると言うものだし、その鬱屈が形になって表われることを誰に止めることが出来ようか。
これは余談だが、あのケンタッキーフライドチキンというのは、本来カーネル・サンダースのおっさんが手塩にかけてスパイスを厳選して作り上げたものをファーストフード化するにあたり、「そんな手間はかけられへん。(だから、どうして関西弁にする)」と新しい経営者が勝手に簡略してしまったものらしい。
本人のおいしいチキンを食べさせてあげたいという思いが、効率と利益しか考えない典型的アメリカ人、おそらくWASP(だから、そういう書き方はやめなさいって)により踏みにじられ、その上、およそ別の商品の広告塔として自分が世界中のさらし者になっているカーネル・サンダース。この話を聞いた今、皆さんはあの街角のサンダース人形の笑顔の下に、一人の善良な男の哀しみをみないだろうか。
さあ皆さん声を大にして言おうではないか。
「カーネルおじさん、ありがとう。」と。
何の話だ、いったい。

飛行機の座席である。今回搭乗したのはキャセィパシフィック、ロンドン行きだ。
乗客は白人ばかりである。やはりでかい。そこでまた一つの疑問がわく。
こうした人達の体格に合わせた規格品であるなら座席が狭過ぎはしないかと。
日本で日本人の体格に合わせ規格品の中で平均より大きい日本人が窮屈を感じるのは仕方ないと思うのであるが、皆が皆でかいのなら、それに合わせるのが筋なのではないか?
実際、2メートル近い大男が3つ並んだ座席の窓際に入りこんだら拷問以外の何物でもない。
私は常に飛行機に乗るときは通路側であることを祈るし、横にデブが来ないことを期待する。
後5センチ広かったら、どれだけ快適さが違うだろう。
三列ほど座席を外して、その分各座席間を広くして、三列分の航空料金を残りの座席で均等割りして賃金に上乗せしたとしてもいいのではないか。
いや、もっと公正さを規すなら各座席で上乗せ額を変えねばならない。
考えてもみれば窓際と座席の区切り目で前がなく足が思いっきり伸ばせる場所が同じ値段なのはどうかしている。
いっそ座席など無くして、床にマグロ状態で行くのはどうだろう。
揺れが激しくないときは車座になって花札やオイチョカブをしたり、歌を歌ったり、イスラム教徒ならお祈りもできるわけだし、飯など隅に屋台でも置いてセルフサービスにすれば飯運ぶだけのスチュワーデスも(こだわる人だね、あんたも)リストラできて随分人件費も浮くわけだし、いいことづくめだ。
私は思う。
今に科学が進歩して無重力空間を自由に作れるようになったなら飛行機の中を皆がプカプカと漂って全ての煩わしさから開放されるだろうことを。
アホゥな妄想が続く。

時が大きく飛躍して場所はスペイン、マドリードは闘牛場。
すり鉢状の観客席は石の階段である。
日の長いスペインでは午後7時でも暑い日差し、石の座席は程よく暖まる。
そんな観客席の一つに身を小さくして私は座るというより体を沈めていた。
目の前を体格のいい人々が通り過ぎていく。
私は思わず横にいる堀越さんに質問してしまう。
「座席狭過ぎません?」
「おめぇ、そればっかだなぁ。」

飛行機はロンドンへと飛び続ける
各座席に取りつけられたモニターでは「トイ・ストーリー2」がやっている。
他にすることもないから、結構真剣に見ているのである。
こういう時に小難しい映画は見たくないものだ。その前に言葉がわからないけど。
エジプトから1年ぶりに帰国する際、「卓球温泉」がやっていて、画面に写る濃厚な山の緑をみて「ああ、もうすぐ日本に戻るのだなぁ」と感慨深かった思い出がある。
移動中の映画といえば、沖縄へ船で行った時、その長い航路の間、延々とテレビから録画した映画、それもテレQの昼間とか深夜にやっている三流アクション映画ばかりが流れていたのも素敵な思い出だ。
単純肉体労働のバイトをした時、バスに詰め込まれて移動したのだが、その時にはやはりテレビから録画した「仁義なき戦い」を強制的に見させられ、荒んだ気持ちでバイトに臨んだ。
「こがあな会社のためにワシは忠義尽くす気はないけぇ。」
「ほうよ。適当にやればいいんじゃ。」
「なんならあのバイト代。監督の奴、裏でピンハネしよるんじゃろ。」
「ほうじゃけぇワシらナメラレとるんじゃ!」
もういいよ… なんだかんだ言いながらまだまだ飛行機の話が続く。

時刻はとっくに午前零時を過ぎている。
本来なら眠っている時間であるが中々寝つけられない。色々体の位置を変えてみるのだがどれもしっくりとこない。
隣を見ると森田さんが私の側に頭を寄せて寝息をたたている。熟睡しているようだ。
さすがにそちら側に頭を傾かせる気はしないので通路の方に頭を傾かせ足も斜めに通路へと出しこれで中々いいポジションだと思ったのだが、通路であるだけに人が行き交いそう安泰とはしていられない。
特に前の座席のバカデカイ英国のジジィがジジィだけに小便が近いのか知らぬが、やたら立ちあがり後方へ向かうのでその度ジジィのケツが頭にぶち当たり寝るどころの話でない。
「ジジィええ加減にせんかい!今度ぶち当たったら木っ端食らわしちゃる。」
と思った矢先、頭をかすめたのはキャセィパシフィックの赤いタイトスカートだった。これは良しとしよう。
まあどう言ったところで通路に体を投げ出している私が悪いわけだから、また別のポジションを探すに至る。
しかし前のジジィはリクライニングをマックスまで下げやがるし、何度も立ちあがるしで、姥捨て制度を採用することを英国政府に陳情したいものである。
それでもいつしか眠りについていたのであった。

ロンドンのヒースロー空港へは早朝についた。香港とはうって変わり、冷気が肌をさす。旅はここで終わらず、スペイン行きのイベリア航空の発着ポートまで移動する。
ということは、まだ飛行機の話が続くわけ?
もうそろそろ飽きられてるのではないか。
実は私は飛行機が好きなのかもしれない。
この空港は広いのでポート間の移動はバスである。
そんなバスのヒトコマ。
英国の老婦人が中国人の小さい子供のために体を寄せ座席に座らせたりするのを見た。
その時、私は姥捨て制度の採用を英国政府に陳情するのは辞めることにしようと決心した。

そして今、イベリア航空のゲート前にいる。
航空チケットの機械が壊れていたので手作業でゲートを通過した時、もうそこにはスペインがいた。
階段を降り飛行場に降り立つと、時折吹く冷たい風の中、イベリア航空の飛行機が翼を休めている。赤と黄色のスペインカラーが眩しい。
暗い英国の中でそのあたりだけは明るく思われる。
タラップを上り飛行機に乗りこむと「ブエノスディアス(おはよう)」旅前に唯一覚えたスペイン語で迎えられた。
尾翼に色々なペイントを施した英国の飛行機の間を縫って、飛行機がスペインへと飛び立つ。

機内放送から流れるスペインの音楽。ギターの調べが感傷を誘い、これから起る出来事の期待が高まる。
隣の男はそりの入った頭髪にサングラスをかけラテン度百パーセント。
スチュワーデスのスカーフの赤と黄色が紺色の制服に映える。
日差しが強くなり機内はいよいよ明るく輝いていく。
眼下に見える赤茶けた地面。
マドリードはもう直ぐそこだ。

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更新日2006年6月15日更新
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