池永正明

最近、衛星放送で大リーグのワールドシリーズを見るに日米の野球に対する文化度の違いを感じざるをえない。もっともステレス戦闘機の登場する右よりの演出並びに歓喜する観客にはうんざりするけれども。
日本でも最近、大きなイベントのとき「君が代」を歌ったりするが、その人選には理解しがたいものを感じる。
思い出すだけで、小錦、SMAPの中居、工藤静香といったところで何を基準に選んだのかというものばかりだ。
僕は別に国粋主義者ではないので、国歌に対する冒涜だとかは思わないけれど、例えばアメリカだとオペラ歌手とかジャズトランペッターの一流どころが登場するのに較べた時に、といった意味で。
そして郷ひろみに同情しざるを得ない。
数年前のオールスターで郷が「君が代」を歌った時、本人はいたく真面目に真摯に歌ったのであるが、如何せんあの口調であるので場内に爆笑の渦が起きてしまい、後日、右翼団体よりクレームがあったとかいう話だ。この時、郷が右翼の前で「ジャパーン!」を連呼してその場を取り繕ったというのはもちろん作り話だ。
それにしても郷は無許可ゲリラライブで警察のやっかいになったりと、本人の意志と無関係に反体制まっしぐらで公安に目をつけられないか心配だ。というのはそれこそ大きなお世話です。それにしても中居の「君が代」が問題ないというのなら、大の中日ドラゴンズのファンである忌野清志郎に発禁になった「君が代」パンクロックバージョンを一発やってもらいたいものである。ジミヘンのように決めてくれることだろう。
昔はそれでも文化があった気がする。メジャーでは7回の攻撃の前にセブンスイニングストレッチというものがあり、それは座りっぱなしなのでここらで伸びでもして最後の攻撃に備えましょうといったものであるが、日本ではラッキーセブンと言われ、子供の頃の記憶では、この際、観客のおっさんが立ち上がり大きく伸びをしたりしたものである。
それは子供の目には大人の世界の儀式に思われ、試合の記憶は無くても、眼前に点々と立ちあがったおっさん達の姿は今でも覚えている。
いつしか7回は風船を飛ばし擬似的な連帯感を確認する場になってしまった。
過去の名選手に対するリスペクト度の違いも顕著だ。
最後の4割バッター、テッド・ウィリアムスの前に現役のメジャー選手がおじぃちゃんを慕う孫のように集まる姿など日本ではありえない。
始球式になぜアイドル歌手が投げるのか?
例えば去年の日本シリーズ、池永正明が福岡ドームのマウンドに立ち、永久追放を免除されたうえ始球式を行なうなどの演出がされたのならば日本のプロ野球も捨てたものではないが、現実にマウンドにいたのはモーニング娘。だったりする。
こういう面から直さない限り、心ある選手はやはりメジャーに行くだろう。
そんな池永正明もマスターリーグには参加するそうだ(福岡ドンタクズ)。

更新日2006年6月26日更新
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