夏休みスペシャル寄稿 僕のファーブル昆虫記

もうすぐ夏休みも終わりである。
今頃、チルドレンは先送りにした宿題に青息吐息なのでしょうか。
かくいう雑兵も随分と長い夏休みを取っていた気がする。
更新履歴の日付がそれを物語っている。
そろそろ始動しないと、「夏休み」の言い訳が「休学」に変わりそうである。
なんとかしなければなるまい。
そういうわけで、今、キーボードをたたいている気持ちは、
夏休みの終焉を前にしたチルドレンの気持ちに近いのである。
近いこともあるので、そんなチルドレンの付け焼刃の夏の自由研究のネタに貢献できるかな?の話を書くことにする。

自由研究といえば、私の姉は、学研の科学か学習の八月号に載っていた、「帽子の色による温度の違い」という実験紹介漫画を、まんまパクって、実際に実験もせずに適当に帽子の色だけ変えて書き替えたものを提出したところ、何故か評価されてしまい、市のコンクールにも入選し表彰された。
しかし、相当数の小学生が購読している雑誌に載っているものである。その盗作にも気付かないのはどうしたものかと、当時、子供ながらも疑問に思った。
教育委員会だとか学校の教師なんてものは、かようにいい加減で適当なのである。
今の暴走先生の萌芽はこのころからあったのだろう。
と、さらりと書いて、何の突込みも入れずに次に進む。
姉の名誉のために書くが、決して功名心から行動を起こしたのではなく、
しゃあーしい(博多弁っす。)夏休みの宿題を適当にこなしてしまえという、
究めて健全な子供の精神から、事はなされたのである。

もう一つ、夏休み自由研究で思い出した。クラスメイトの一人の昆虫採集の標本だ。
普通、標本には見栄も働き、夏祭りの夜店で買ってもらい新学期が始まる頃には死んでしまったカブトムシやクワガタなんぞをこれみよがしに真ん中に配するものである。夏の昆虫界の雑兵、アブラゼミは余程、スペースに余裕がない限り、エントリーされることはない。
であるが、彼の標本は、そのアブラゼミとその幼虫の抜け殻と羽のボロボロになったアゲハチョウのみで構成されていたのである。標本とはこうあるべきだの束縛に苦しんでいた私に、何か突き抜けるものを与えてくれた。
ナチュラルなパンク。私のパンクへの傾倒はここに端を発する。と調子こいて書いたが、そんなことは無論ない。

話がそれていく。
今回のテーマは虫だ。

よく大濠公園をジョギングする。
六月頃からこの時期にかけては、走っていると赤トンボの姿を見かけ、多い時はその群れの中をくぐる感じもする。
赤トンボといっても唐辛子色の奴ではなくオレンジ色の奴だ。
そういえば、最近はあの真っ赤な赤トンボを見ることがない。水色のシオカラトンボも…

きっと公園の池や福岡城の濠でヤゴ時代を過ごしている奴さんたちは羽を伸ばして天神のビルの谷間にも姿を現す。
夏の夕刻、帰宅途中のサラリーマンやOLで込み合う都会のど真ん中に見るトンボの群れは美しい。
風に乗り舞うトンボの姿。その下界、灯りのともり出した屋台。
どこからとなく聞こえるホークスのナイター中継。
きっと今年の日本シリーズはドラゴンズ対ホークスになることでしょう。
と、無理やり一文くっ付けたところで軌道修正。
前述で、真っ赤な赤トンボを見なくなったと書いていてなんであるが、
こういったトンボの群れを見た時、奴さん達が増えているのではないかと思ったりする。
ここで生態系や自然環境について科学的な理由を述べる程の知識は、農学部出ているけど全然持ち合わせていないので、
究めていい加減で詩的な理由を述べる。

例として私の実家の庭をあげる。
ここでもセミとかトンボが増えている気がするのである。
何故か?それは今、この庭が虫達にとって生命の危険にさらされる心配のない小さな楽園だからだ。
かって、この庭には独裁者が存在し、虫達に恐怖政治を強いていた。
そう、現在の地球をアメリカが支配しているように。
と、また書かなくてもいい短絡的左翼文が飛出す。
勿論そのヒトラーばりの、無理に付け足さなくてもいいけど、ブッシュばりの暴君は私のことで、
かって、この庭で何が行われたか?

偶然にこの庭にやってきた存在の珍しい者達、タマムシなどの甲虫類やオニヤンマ、クマゼミなどの大物達は捕獲を試みられ、運悪く捕まったものは死ぬまで緑色のカゴに収容されたのち標本箱に陳列された。
もちろん収容後、見世物にされたり、手でもて遊ばされたりし、死期は早められた。
余談であるが、クマゼミが九州地方ではアブラゼミと同じくらい普通に存在し、扱いが二等兵なのは学生時代、こちらに移ってきて知り、新鮮な感動であった。後、冬は寒いから九州で相撲があるんだろうなという単純な思いこみが間違いであることも、その年の冬に知った。

蓑虫に対して行われた粛清については以前、雑兵で触れられた通り。

地蜘蛛の告白
あっしらは人間様の邪魔なんかしてねえ。土の中に細長い巣を作って、その出入り口が家の壁に付いてるだけだ。
地面から数センチのことずら。それに餌にしているものだって人間様の害になる虫ずら。なのに奴ラはあっし達の巣を千切らずに引っこ抜くのが面白い、ただそれだけの理由で、庭中にある仲間の巣を全部引っこ抜いただ。
巣の端に寝ていたあっしは急にお天道様に照らされて、あわてて逃げ回ったずら。巣を作りなおしても同じことの繰り返しずら。
家を建てるのが大変なのは、おめえさん達、人間の方がわかってるんじゃねえずらか。でもわしらは家を壊されるだけで済んでるんだから、ましな方かもしれねえずらな。

セミの幼虫の告白
私は土の中で七年の時を過ごし、その年の夏、いよいよセミとしての生活を始めるべく地上に顔を現しました。
私達の脱皮は夜に行われます。脱皮の間は無抵抗であるため、なるべく攻撃の受けない夜を選ぶのです。
私達は公園の植え込みの下で暮らしていました。あの時、私が脱皮の日を提案しなければと悔やまれます。
何も慌てることはなかったのです。私が提案した日、運悪くその公園で町内の盆踊り大会があったのです。
普段なら夜の公園にいるはずのない、私達の天敵、小汚い人間のガキ共がその日は全部そろいました。
そしてそのうちの一人が、植え込みに生えた木の下で、幼虫の皮を破り身を反ってまさに抜けでんとしていた私を見つけました。
私を無理やり皮からはがすと、そのガキは私を他の仲間に見せびらかしました。その後、ガキ共、総出で木の下の探索を始め、その日、地上に顔を出した私の仲間全員が捕獲されました。
羽はゆっくり時間をかけ乾かさないと、飛ぶことができないのを知ってますか?
途中で邪魔をされた私達の羽は縮れたまま、まっすぐに伸びることはありませんでした。
そして翌朝、残酷に私達の白い体は茶色に変わり、変態が終わりました。もちろん飛ぶことは出来ません。
私達の七年は何だったんでしょうか。

赤トンボの告白
俺はほんと、「あのねのね」とかいうテレビ東京御用達のへぼ芸人がにくいぜ。
やつらがあんな歌、流行らせなければ俺達はこんな目に合わなかったんだ。
何が「赤トンボの羽を取ったらアブラムシ」だ。んな訳ねーだろ。
羽取ったら痛いんだよ。そしてトンボとしての商品価値は終わりだ。だろ?
だからあのガキどもも羽むしったところで所在ねーもんだから長いシッポと胴体のところで引っ張りやがった。
内臓がつながってでてくるよ。悪い?俺達だって生きてるから中はエゲツナイもんよ。
そんで俺達の持ってる浮き袋、そりゃーガキの頃は水ん中で過ごすんだから、浮き袋くらいもってるわさ、
にエラク興味示しやがって、その浮き袋見たさに、そん時捕まった俺の仲間、全部分解しやがった。
そんなことされれば俺達の数も減るってもんだ。
あれだろ、アメリカ人が鯨油だけのために鯨殺して、数減らしまったのと同じじゃねーの。
それで今、鯨を食べるの止めましょうだって。ふざけるんじゃねーよな。
どっちかてーと、鯨よりマクドナルド食うの止めましょうだろうが。
あんた虫のわりに随分と反米だねーって、当たり前だろ。
俺は“赤”トンボだぜ。

以上の証言から、導き出したい結論は、少子化なんかで虫の虐殺者の人口が減っていること、ならびにその子供がテレビゲームなどの二次元的な遊びばかりに興じて、虫取りなどしてないからではないかということだ。
そしてそれは必ずしもいいことではないと思う。
確かに無用な殺生はいいものではない。
しかしそういうことを通して、かっての子供は、自分より無力な存在を、その存在は、自分では大したことのないと思っている力により予想以上に傷つくことを学んでいくのではないかと思うのだ。
時に大人の説教を通して。
そして自然界は人間にそういうことを学習させても困らないくらいの小動物を存在させているはずだ。
逆に危険なのはカード型対戦ゲームなどで、ダメージを数値で表していることの方で、
実際の生き物は、数値が下がって終わりということはなく、痛みも感じれば、血を流すということだ。
そういったことをヴァーチャルにしか経験してない子供が過多ないじめを行い、時に死に至らせているのが、現代社会である気がする。
肉食動物は自分の持っている武器が相手を死に至らすことを、そしてそうすることが種の絶滅につながることを本能が認識しているため、仲間同志の争いでは、止めをさす前にやめるそうだ。
そして逆に草食動物の仲間同志の争いは、相手が死ぬまで容赦なく続くらしい。

と自分の行った行為を正当化させた所で、今回は終わり。

最後に友人Y君のエピソードがあまりに強烈であるので、記して終わりたい。

オタマジャクシの告白

ある晴れた日、小川に私達はたくさんいました。
一人の人間の子供がタモで私達を救いバケツに入れます。それはよくある風景です。
ただ一つの点を除いて。そのバケツには水がはってなかったのです。
やがてバケツは私達だけで一杯になりました。ピチピチピチ。
おもむろに子供はバケツの中に腕を突っ込みました。ピチピチピチ。
そしてその感触を、どういうわけか仲間にも味合わせたいと思い立ちました。人間の子供とは不可解なものです。
バケツを抱え道を歩きます。道路を横断しようとした時でした。
子供はつまずき、バケツの中のものを道路に撒き散らしました。
バケツの中のもの、そう私達です。道路の上で私達は跳ねます。ピチピチピチ。ピチピチピチ。
きっと子供は私達をバケツに戻してくれることでしょう。ピチピチピチ。
ただそうするには私達は多すぎたようです。ピチピチピチ。
子供は呆然と立ち尽くしています。ピチピチピチ。
そのうち道路の向こう1台の車がやって来ます。
早く救出して。ビ血、ビ血、ビ血。
車が通り過ぎました。ビ血、ビ血、ビ血。
子供はそのまま去って行きました。ビ血、ビ血、ビ血。

更新日2005年8月29日更新
雑兵は不定期更新です。
ご感想、ご意見などありましたら、
aficionrecord@estate.ocn.ne.jpまでお願いします。